2007年10月3日水曜日

追悼上映会の実施に至るまで(記念誌元原稿)

「追悼上映会の実施に至るまで」
 映画プロデユーサーの榊 正昭さんが、2006年10月19日発行のユニ通信に「浜田英夫さん逝く〜その映画人生〜」と題して、追悼文を寄せられた。浜田さんの映画人生を振り返り、最後に「浜田さんは、アマチュア時代から変わることなく、この思いを貫いてこられました。秋には浜田さんの追悼上映会を企画して、多くの皆さんに浜田さんにもう一度見ていただきたいと思っている。」と締めくくられていた。
 一方、浜田芳子(英夫夫人)さんも、残された浜田さんの多くのフィルムをどのように保管し活用していったらよいかを考えておられ、教育委員会を訪ねられたり、稲城市立中央図書館・城山体験学習館の嘱託である私にも声をかけていただいた。
 そこで、榊さんを交えて、三人が体験館にて、直接、今後の取り組みについて話し合うことになった。そこでは、秋から年内に上映会を実施するには、時間的に間に合わないということになった。また、追悼上映会を実施するにあたっては、浜田英夫作品の内容をおおよそ把握しておく必要がある。また、上映会の持ち方についても詰めていかなくてはならない。このように考えて、平成19年の年明けから、稲城市内の映像に関心のある方々に呼びかけ、「浜田英夫の映画を見る会」を催すなかで具体化していくこととし、追悼上映会の開催を大体秋以降、市内及び市外の2会場で実施の方向で準備を進めることとした。
 
 第1回目は、2月4日〔日〕午後2時から5時まで、城山体験学習館で実施した。最初の作品は、アマチュア時代に8ミリで撮影された「秋の歌」と「砂利のふるさと」、1977年の作品「手づくり遊びと子どもの手」、そして、最後に2005年に関係者に送付された「年頭のご挨拶」のDVD作品を上映した。特に最後の作品は、浜田さんの個人史としてもとても貴重なものであった。初回の上映会には16名の出席があり、お互い初めて顔を合わせる方も多いなかで、榊さんの呼びかけで、映像作家の清水浩之さんが参加してくださり、早速、5月の神田で行われる「8ミリ映画祭り」に先の2作品と「若い心の詩」を上映したいとの話もだされた。
 
 第2回は3月11日に実施し、初めての方7名を含み、20名の方が参加されました。作品は「昔 竪谷戸があった」、「稲城の20世紀、戦後見聞記」と地元の稲城にちなんだ作品ともに、都立町田養護学校でとりくまれた重度心身障害児の意欲づくりの試み「ちいさな芽生えを求めて」の3作品を上映しました。この時、参加された方から、市の振興プラザで行われている市民活動サポート事業として行われている「金曜サロン」で稲城の2作品を上映してほしいと申し出があり、「8ミリ映画祭り」とあわせ、思わぬ展開となった。      

 その後、別紙のように、見る会を毎月開催し、7月まで6回、20作品を上映した。この他にも作品はあったが、主要作品はおおよそ把握できたことから、上映会のあり方について話し合いを重ねた。併せて、見る会のニュースを発行するとともに、上映会の作品の紹介及び浜段さんの作品録などをブログ(榊さん作成)で紹介し共通理解ができるようにした。

 第5回(6月17日)終了後に、追悼上映会プログラムの詳細検討を行った。これまでの意見交換を基に、限られた時間でなるべく多くの作品を上映して、濱田さんの全体像が捉えられるようにすること、作品の上映だけでなく意見交換の時間をとり浜田さんが訴えたかった問題を共有できるようにすること、この2点がポイントであった。9月30日に稲城12月2日を調布で行い、どちらとも午前午後をフルに使い、稲城では地元をテーマにした作品を、調布では多摩をテーマにした作品を上映することとし、2会場で12作品を取り上げることにした。
 2会場の実施内容が決まったところで、教育委員会への後援依頼、市内の団体への協賛の依頼を行った。更に、ポスターとチラシの作成にあたり、市内の駒沢女子大学に映像コミュニケーション学科があることから、大学に相談にいったところ、快諾をいただいた。大学3年生の志田さんのデザインによるポスターとチラシが出来上がったが、タイトル「野良ネコ的、浜田眼。」が決まったのは、印刷発注ギリギリのところであった。
 
 当日の上映会に向け、関係の方々に想い出の一文を寄せていただき、作品紹介とともに資料集を発行することになった。ほとんどの作品の解説を担当された明石さん、遺作のDVD作品「人間が歩み始める時」の監修者である諏訪さん、「若い心の詩」に取り上げられており、団塊世代に再び脚光を浴びるシッガーソングライターの長谷川きよしさんなどからも浜田さんとの想い出が寄せられている。8ミリという小型映画にこだわった浜田さんがどのような題材や姿勢でドキュメンタリー映画を撮り続けてきたのか、半世紀に及ぶ映像記録を追悼上映会で共有することができ、次代に引き継ぐきっかけになることを願っている。(浜住 記)
★記念誌では紙数の関係で一部割愛しました。

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